山の中腹に建つワイナリーは、レンガ造りの建物です。 工場では、製造工程、熟成庫の見学、ワインの試飲などができます。
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「どう作ればよいか何もわからない。 手探り状態でしたね」
2006年(平成18年) から2016年 (平成28年) まで富良野市醸造用ぶどう耕作組合の組合長として、生産農家の取りまとめに尽力された天間幸博さんは50年を振り返り、そう語ります。当時は「畔、土手や遊休農地など、ぶどうはどんな条件でも作れるのでは?」という感覚で栽培に取り組むケースがほとんどでした。
1980年代になってから、ぶどうを畑で一つの作物としてしっかり管理するよう意識が変わります。しかし、この頃はまだ研究所と意思疎通ができておらず、ぶどうの品質とワイン造りの関係を理解していませんでした。2007年に導入した選果システムをきっかけに、距離が縮まります。それまでは問題なく醸造用として使われていた品質の果実が、厳しくなった基準にはじかれるようになったのです。初めは生産者も戸惑いましたが、生産者全員と膝を交えて1対1で対話し、半世紀前、畑に植えることさえできなかったぶどうが国内でも有数のワイン醸造用ぶどうへと進化しました。50年は一つの節目でまだ夢の途中。「世界で認められるワインになってほしい」と天間さんは語っています。
「うちみたいなところで、ぶどう栽培がうまく出来るのかな」
粘土質、 石礫地、 雪深く、 春遅い土地条件。50年以上前に感じた不安を、いまでも鮮明に記憶している森口英昭さん。
「信頼される品質のぶどうを栽培している要因は、飽くなき探求心、挑戦し続ける強い想いにありました。粘土質で固い土地では、ゴロゴロとした石が木の下にあり、農作物の栽培には適しているとは思えませんでした。さらに、雪解けが遅く、吹き溜まりができると見上げるほどの積雪に埋もれてしまいます。この条件でぶどうが育つかどうかと半信半疑でぶどう作りがスタートしました。」
「土地毎の土の質、気候で合う肥料を選んだり、肥料の量が品質の低下、収量の増減に影響するため、最低3年かけて比較試験をしています。」
閑散期の冬には専門書を読み、講習会に参加。常に勉強を怠らない生産農家の研究熱心な姿勢にふらのワインの美味しさは支えられています。